囲碁教室に12回通った感想- K-blo

[2018/10/26(Fri) 01:00:00]

囲碁教室(日本棋院の囲碁学校(教室))に通い始めて4ヶ月,月に3回程度のペースで12回を通いました.1回がだいたい2時間から2時間半なので24時間は経過したことになります.

通い始めた動機は単純に囲碁が好きで碁盤と碁石で囲碁を打ちたい,強くなりたいと思ったこともありますが,趣味で作っている囲碁プログラムを強くするためにはプログラマが強くなるのが遠回りなようで確実なのではとの考えがあります. 雑誌Software Design2018年5月号AQの記事が載っていてそこにはAQの作者は10級くらいとありますし,ほか最近の強豪プログラムの作者も級位者や初段くらいとのことも承知しています.しかしモンテカルロ以前の知識ベースの囲碁プログラムを拙い囲碁の知識で作っていたのは楽しく,囲碁が強くなり,数学的に囲碁を計算すれば自作囲碁プログラムも強くなるのではとのアルファ碁以前からの思いは未だ拭えずにいます.

前回のCGFオープンで,局面を見て「良い勝負じゃないですか」と言ったら高段者の対戦相手にもう勝負ついている的なことを言われ,私の人間としてのバリューネットワークの性能の低さを痛感しましたが,棋力があれば試合中の局面を見ての形勢判断も真っ当にできるようになるのではとの思いもあります.

実際に囲碁教室に通ってみて,講義を聴いていても,目の前でプロ棋士が私に向けて解説していくれていると,講義内容を真剣に考えざるを得ません. 囲碁なんてたとえばITとは違って技術の進展はなく,入門レベルだと入門書やNHKの囲碁講座を見れば同じ事を説明してくれるのでわざわざカネを払って教室に行かなくても充分なのではとも考えました.もちろんプロレベルになれば,最近のAIの技術向上による布石の進化などあるのでしょうが,級位者レベルの入門講座としては,時代の変化によって変わることはないとの意味でです.実際講義ではアルファ碁の早い三三入りは初心者は真似しないでくださいと言われました.

教室に通うことの意義は,強制的に勉強する機会を作り,先生がその場にいるので囲碁を学ぶと機会を作るとの目的が強いと私は感じています. 仕事とは直接に関連のない趣味を強制的にやる時間を持つのが生活のメリハリになっています.

教室に通う前は技術的な理論を教えてもらえるのではと想像していたのですが,実際の講義の内容は,この場面ではこう打つ,こういう場面ではこう打つ,この形のときはここに打つのような,言ってしまえば場当たり的とも思える解説の連続でした.感性と記憶に依存するような教え方で,特にこれといった理論があるようには感じません.

囲碁AIが人間に対して劣っている点の説明として,「AIはなぜそう打ったかの理由は説明してくれない,あるのは勝率と打った手だけで,意味はわかっていない」的な言説を目にします. しかし実際のプロ棋士の講義では,「思い切った手」「立派な手」「ここはこちらに繋がりたいですね」「この局面ではこちらが大きいですね」「これはやりすぎですね」のような解説です.ですがそのような解説を聞いても私にはその意味が理解できないことがあります.この局面だとこう来るとこうだからこうでしょだからここが良いんです的な解説はありますが,そのような先読みの展開図ならAIでもわかることで,それを人間だから意味がわかっているとは考えません.プロ棋士は直感で数手の良い手を見つけ,あとはそこから20手くらいを先読みして打つ手を選択しているように見えます.それを意味がわかっていると呼ぶかは判断に迷います.悪手の解説は先読みすると悪手とわかるので意味がわかるのですが,抽象的な局面での良い手を級位者に意味を理解させるように解説するのはプロ棋士でも難しいのではと感じました(が,私の理解力が無いだけかもしれません).

2人のプロ棋士の先生が週毎に交互に教えてくださっていて,どちらの先生もそのような指導法ですので,囲碁とは理論や意味では説明できないものであって,理論的に計算できないからこそ深いのかと考えるようになりました.

先生に「スマホアプリ(囲碁クエスト)の9路で打つことが多く,19路盤は人生で100局くらいしか打ったことない」と言うと,もっと19路を打って慣れるのが良い,1万局打った人は強くなっていると言われ,確かにその通りでしょう.ですが19路で1万局を打つのってどれだけ時間掛かるのか,1局10分としても100000分イコール69日で,それなら教室で習う意義があるのかは若干疑問になります.将棋ウォーズ3万局を指して二段になった友人がいますが,話を聞くに,経験に勝るものはないのかもしれません.

たしかに私は9路で打った経験が多いためか,他の受講者と打つと,19路の序盤の布石を知らないために適当に3線と4線と交互に打てば良いのかくらいな感じで打ち,なんとなく形が悪くなってしまった後に,接近戦にしてごちゃごちゃするように打つと,9路盤の死活の経験が生きているのか,相手のミスを誘って勝つみたいな勝ち方が何回かありました.19路の序盤を習い何回か打つことで,序盤が改善しているように感じます.回数を打って強くなるのはその通りでしょう.私の専門分野のITでも,どうしたらプログラムを書けるようになりますかと聞いてくるかたがいますが,まずは入門書を読んだり最近はWebの動画もあるのでそれらを見つつ,なにかプログラムを書いてみましょうみたいな回答をします.物事を修得するのにはある程度回数を重ねる必要があるかと考えます.

受講者同士で打っていると,同じ講座を受けているので同じように上達しているはずで,強くなっているのかはわかりません.ですがコンピュータを相手に打てばコンピュータの強さは変わっていないために勝てるようになると上達していると感じられます.その点は当初の強くなりたいとの目的が叶って満足しています.できなかったことができるようになるのはモチベーションの維持につながります. 棋力は習う前は「みんなの囲碁DeepLearning」の10級に負けていたのが,囲碁教室に通ったこの4ヶ月でいま打ってみると8級に勝ちました.GNU Go(レベル10)とは4子で良い勝負でしたが,4子には負けなくなり,3子にも勝て,いまは2子で挑んでいます.コンピュータを相手にすると弱いなりに成長が感じられ,達成感があります.

プロ棋士から直接に講義を聞いて疑問点をその場ですぐに質問して理解が深まることがありますし,プロ棋士だけでなくスタッフのかたに気楽に質問して教えてもらえるのもためになります. 他の受講者と打った棋譜をプロ棋士に解説してもらったのも面白い経験でした. 指導碁では井目置いてもあっという間にボロボロに負けてしまい,プロのすごみを感じますし,打ちながら無理な手を咎めてくれたり解説頂けるのも対面ならではの機会です.ただ昔にですが私は4段のかたにも井目で負けたくらいなので,プロ棋士である必要性は微妙ですが.

受講者同士で打つのは真剣勝負で1局が深く,ネットとは違った面白みがあります.似たような棋力のかたと適切な置き石でマッチングしてくれますし,私のことをライバル視して「今度こそ負けませんよ」と言ってくれるかたもいて,人間同士の勝負を感じます.このコンピュータ全盛時代に木とプラスチック片を使って打つのも贅沢な時間と思い,もうしばらく通い続けようと考えております.


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